アンネの日記のあらすじ

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アンネの日記は、日記ですし、あらすじというと一言では言えないのですが、簡単に紹介してみたいと思います。

日記の書き手であるアンネは、日記の中では「アンネ・アウリス」、そして後に「アンネ・ロビン」と名乗っています。

アンネの周囲の人は、教養のある人、知的水準の高い人達が多かったということですし、作家を目指していたという話も聞きます。

また、アンネの日記は、一人の少女の心の中の葛藤や成長を描いた作品とされているのですが、話の内容としては、ハリウッドでヒットするようなドラマティックなものではないですし、歴史上の悲惨さや、いくつかのエピソードを除くと、その当時の日常が描かれているという印象にとどまってしまうかもしれません。

ユダヤ人である少女(アンネ)の視点で話がすすんでいくのですが、実際には普通の少女という感じではなく、鋭い観察力や洞察力に長けており、誰かに向けた手紙のような書き方そういう点でも興味深い作品になっているようです。

さてさて、内容ですが、ある日、アンネと姉(マルゴット・フランク)に対して、強制収容所に来るよう通達があるんですね。

そして、家族で隠れ家に移って、生活を始めます。

そこでは窓を開けることもできず、昼間は何が会っても大きな声を出すことも出来ず、衣服も新調することもできず、まともな食事もできなかったようです。そんな生活の中で、同居している何人かに不満を持つようにもなっていきます。また、内面では、ナチスに対して憤りや強い恨みを持ちながらも、生活が元通りに戻った時のことを考えて、勉強を続けたり、アンネに協力してくれる周囲の人達の人間の暖かさに触れたりします。同居している別の家族の息子であるペーター・ファン・ペルス(日記上では「アルフレート・ファン・ダーン」)と恋に落ちます。

こんな感じで、現状の生活への不満であったり、恋愛関係にある少年との恋について書いてあったりするのですが、大部分物語るように、語りかけるように最後まで日記に記しているんです。そして、毎日書き綴っていた日記がある日突然終わります。

捕まった後は、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で発疹チフスによって亡くなったとされています。

ベルゲン・ベルゼン強制収容所は、1945年の4月15日に開放されたとされているので、後1ヶ月生き延びることができたら、もしかしたら生き残ることができたのかもしれません。

こう書いてしまうとそれで終わりなのですが、読んでみると結構不思議な感じもするんですね。

姉のマルゴット・フランクは、なぜ生き延びられる可能性のあるアウシュビッツから、アンネに付き合ってベルゲン・ベルゼンに行ったのか、とか。

なぜ家族で唯一生き残ったのは父であるオットーだけだったんだろう、そして、姉のマルゴットも日記をつけていたのに、なぜ生き延びたオットーが出版したのは妹のアンネの日記だったんだろう、とか。

子供が学校で感想文を書かなくてはいけなくて、内容を知りたいという感じであれば、漫画伝記アンネフランクの方が子供は取り組みやすいかもしれないですね。

そうではないという場合、ビクトール・フランクル博士の「夜と霧」も合わせて読むと、その当時のことだけではなく、「人間」について色々と考えるきっかけになるかもしれません。

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